画狂老人卍


『何故、過去に日本人は度々名前を変えたのか。』
『北斎は30回作家名を変えているが、何故?』
という質問が来ました。





明治に入るまでは、皇族、貴族、
武士など元服するときに幼名を改め、
または昇進したり、位の高い方から名を賜ったり、
仏門に入ったりして名前を変えました。

新しい名前を得るということは、出世魚のように縁起が良いものとされていたのですが…
(諱とあざな、という呪術的な概念もありますが、
それは省きます)

北斎は、その人生30回画号を変えています。
絵かきにとって名前を変える、
というのは
一からやり直すという危険な掛けでもあります。

一般的には、北斎が自分の腕試しのために
名前を変えていった、
同じところに留まるのをヨシとしなかった、
という解釈がありますが
それとは別に金銭に全く興味を示さずに、
いつも貧乏であった北斎が
 ( 絵の収入はお金の勘定もせずに机の上に放っておき、
お米や何か入り用があった時にそのまま包を渡して
勘定を済ませていたとのこと)、
借金を解消するために自分が使っていた画号を
弟子に売り渡していた、という事実もあります。

北斎について調べていくと、
常識に縛られない破天荒ぶり、
奇人であることで周りがギョッとすることを
面白がるところ、
位の高さなどものとも思っていなかったこと、
なによりも絵を描くことを愛していたこと…を知り、その人と様に魅了されます。

北斎の最後の画号は「画狂老人卍」でした。

こんな変な画号で生涯を終えた90才の老人の

満足な高笑いがあの世から聞こえてきそうです。

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