中納言家持の姥がゑとき


私が北斎の『百人一首姥がゑとき』を
講義で説明してほしいと言われた時、
手元にあった画集の中で、一番

『これは説明したくない(できない)』

と思った作品が、中納言家持の絵解きでした。
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中納言家持

かささぎの 渡せる橋に おく霜の
白きを見れば 夜ぞふけにける


・・・・。

・・・・・・。

私の和歌解読

「 天の川の星々が霜のように
白く輝いているのを見やっていると
宮中の橋の霜の白さが暗がりに際立ってきた
ああ、夜が更けてゆく 」

・・・・

どう考えても、外国の船がメイン。

『ムリ!これは辞めとこう!』
というのが正直なその時の気持ちで
暫く錦図を睨んだのち、
別の作品に向かったのでした。

それが、百人一首姥がゑときを
授業で説明していた時に
スライドで最期にポロっとでてきてしまったのです。

「これは・・・とても読解が難しく、
北斎の意図が私にはよくわかりません(正直)」

笑うイタリア人たち

仕方なく、七夕の説明をし、
私がこの作品を絵で表現するとしたなら

『(外国から渡ってきた)カササギが天に一列に連なり
まるで空に橋をかけたように見え
明け方に白々と霜が冴えわたっている図なんですが
この作品には異国の船が描かれているばかり・・・』

えー、とその時生徒さんの間から声があがり

イタリア人の女性が笑いながら
「 私には分かりましたけど。」
と言ったのでした。

「北斎が描きたかったのは、外国の鳥が橋を作る
=外国人が日本への開国を求めている、
日本の夜明けじゃないですか」

思わず、女性と壁に投影されている錦絵を
変わるがわる凝視してしまいました。

日本の夜明け・・・

その時の衝撃は雷に打たれたというか(北斎だけに 笑)、
今まで合わなかった視界の焦点が
ハッキリあったような驚きがありました。

私は何を見ていたんでしょう?

激しくそびえ立つ断崖は江戸幕府。
そこに続々と到着する外国の船。
しらじらと明けていく夜。

子供の頃から慣れ親しんできた和歌の
静かなイメージ、七夕の知識が、
私の想像力を阻んでいたとしか
言いようがありません。

北斎がこの作品に取りかかった時期は1835年。
外国から度々開国を求められ、
藩による密交易もありました。

有名な家持の和歌にかけて、
日本の夜明けを告げていた北斎。

当時の人々には理解されたのでしょうか?

百人一首を絵では解説できないと、
27枚で版元が出版を諦めてしまった
北斎の百人一首姥がゑとき。

作品として完結したものを見たかったものです。

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とは、まとめましたが、本当にこの解釈であっているかどうか
文献を探すことのできない私には皆目見当がつきません(笑)
いつか、日本で専門家の方のお話を聞きたいものです!

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