阿部仲麿の姥がゑとき
それでは、私が『Passione Giappone 』の講義で行った、
北斎の絵解きを数回に分けて投稿しますね。
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三笠の月に 出でし月かも
27枚現存する錦絵の中で、一番理解しやすく、
イタリア人にも分かりやすいと思った作品です。
長く側で仕えた阿部仲麿でしたが、
35年の滞在の末、ついに日本への帰国を許されて、
出発前の宴の席でこの歌を詠んだ構図になっています。
あれは故郷の春日、三笠山にかかる月と
同じものなのだなぁ。」
遠い日本を思い、和装で月を眺める仲麿。
35年、異国で過ごすというのは、
35年、異国で過ごすというのは、
さぞ郷愁が募ったことでしょう。
北斎の描くこの作品には、天上に輝く月は構図の中になく、
海原に映り込んだ月のきらめきがあり、
その光に向かってふらふらと二艘の船がたゆたっています。
私はここに北斎の、
海原に映り込んだ月のきらめきがあり、
その光に向かってふらふらと二艘の船がたゆたっています。
仲麿が日本へ帰国することが叶わなかった
運命の示唆を感じます。
天上の月は、たしかに故郷から見上げた月と同一のもので、
春日の山からもきっと美しい月を
春日の山からもきっと美しい月を
同時に見上げることができたのでしょう。
けれど、構図の中には、波立てば消えてしまう
幻のような月が描かれているのみです。
彼の乗った船は沈没し、命こそ助かったとはいえ、
一度も日本へ帰ることなくその命を終えた仲麿。
北斎の彼への憐れみ、深い慈愛を感じるのは、
同じように外国で故郷を思う私だからでしょうか。
同じように外国で故郷を思う私だからでしょうか。