百人一首姥がゑとき


こんばんは。
昨夜は日本美術史講座『Passione Giappone
第二回の講義をしてきました。

今回は劇場から普通の教室に移ったこと、
浴衣を着ずに行ったこと(笑)、
メインの美術評論家の先生と一緒に授業をすすめたこと、色々あいまって割と
リラックスして授業をすすめることができました。

とはいえ、私が受け持った部分は北斎晩年の作品

「百人一首姥がゑとき」

百人一首を姥が子供にわかりやすく説明できるように、
和歌に絵をつけるという、
当時流行りのスタイルだったのですが

北斎の絵解きのなんと難しいこと!😱

先ずは和歌についての説明をし、
イタリア人でも分かりやすい作品を幾つか選んで
奥深い講義を展開しようと目論んだのですが、
当時7578歳であった北斎の発想は奔放で型にはまることがなく、
日本人で和歌の意味をそれなりに熟知している私でも
作画との関連性がなかなか分からない

実際、絵で和歌を説明するのは難解だという
版元の解釈で、100の超大作になるはずだったこの作品は
実質27枚しか発行されませんでした。
(北斎はこのシリーズにとても意欲的だったようで、
下図は64枚残されています)

この難解シリーズと美しい和歌を
どうやって説明したら良いのか
かなり苦労しましたが、授業中に驚くような発見もあり、
本人としては絵かきとしても実のある授業となりました。

久しぶりに雷に打たれたような(笑)一夜。
私が使った幾つかの作品を
これから少しずつアップしていきますね。



写真は 歌人、参議篁

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
人には告げよ 海人の釣船

こちらの解説はなし😁 
海人と海女を掛け合わせてあります。
あえて書くなら、参議篁は当時の嵯峨天皇の怒りをかい
二年間の島流しにあっています。
この歌は連れて行かれる船上で詠んだとのこと…
さて、どんな景色が見えますか?

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