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Japan in Florence Art II

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遅くなってしまいましたが、5月末に行った2つの展示会の報告などを。 1つは 5月24−25日にフィレンツェで行われた Japan in Florence Art 展です。 写真からも分かるように、フィレンツェで全く違った分野で活躍する邦人8人展で 普段、触れない分野の仕事を近くから見ることができ、 あれこれお話を聞けて、とても良い刺激を受けました。 みんな本当に良い仕事をしている! 今回、 お互いの仕事道具も展示しようという事だったので 私は普段使っている日本画の道具を持ってきてコーナーを作ったのですが これがなかなか反響がよく、自分でもちょっとビックリ。 よくよく考えたら、私も大学に入るまで 実際に日本画がどうやって描かれているのか知らなかったので 一般的には日本画の道具を見たことが無い方のほうが普通でした・・・ イタリア人なら特に尚更(笑) 画材を手に取りながら、いろいろな質問に丁寧に答えることができたので 私自身楽でしたし、質問者にも分かりやすかったようです。 それにしても、日本画というのは古典技法なんだなぁと 自分でもしみじみ感じる一件でした。 下にYouTubeにアップした動画を貼っておきますので 搬入直後の雰囲気を楽しみたい方はどうぞ。

久しぶりの…

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  お久しぶりです。 PCが壊れて久しく、Instagramからこちらに更新できるように設置していた筈ですが 久 しぶりに確認してみたところ、一年半ばから連帯が上手く行っていなかったようです。 (というか、投稿した記事が消えているような?あれ??) 去年の夏は、日本で渡伊してから初めて、作品をまとめた形で公開する機会に恵まれ フィレンツェの作家さんたちとの展示会「フィレンツェの窓」展(ギャラリー創、吉祥寺) で、たくさんの方に作品を観てもらうことができました。   また、今年の3月には美術評論家、中野中さん企画「美の棲む処」展(ギャラリー暁、銀座) にて、日本在住の作家さんたちと作品を展示することができました。  やっと日本の皆に作品を見せることができて 感謝感激雨あられ…(えっ、死語??)だったのですが   その記録が全部抜けてしまうとは…😱   ショック!! (きちんと確認しろ、自分!!と叱咤!)   でも、詳しく詳細を綴るには、いま時間も余裕もなく 起こってしまったことは仕方ない。   仕方ないよね…   と、イタリア式に寛容に受け入れて ここからまたコツコツ開始していきます(笑)   気を入れ直して、きちんと更新しますね。 宜しくお願い致します。  

中納言家持の姥がゑとき

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私が北斎の『百人一首姥がゑとき』を 講義で説明してほしいと言われた時、 手元にあった画集の中で、一番 『これは説明したくない(できない)』 と思った作品が、中納言家持の絵解きでした。 ーーーーーー 中納言家持 かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける ・・・・。 ・・・・・・。 私の和歌解読 ↓ 「 天の川の星々が霜のように 白く輝いているのを見やっていると 宮中の橋の霜の白さが暗がりに際立ってきた ああ、夜が更けてゆく 」 ・・・・ どう考えても、外国の船がメイン。 『ムリ!これは辞めとこう!』 というのが正直なその時の気持ちで 暫く錦図を睨んだのち、 別の作品に向かったのでした。 それが、百人一首姥がゑときを 授業で説明していた時に スライドで最期にポロっとでてきてしまったのです。 「これは・・・とても読解が難しく、 北斎の意図が私にはよくわかりません(正直)」 笑うイタリア人たち 仕方なく、七夕の説明をし、 私がこの作品を絵で表現するとしたなら 『(外国から渡ってきた)カササギが天に一列に連なり まるで空に橋をかけたように見え 明け方に白々と霜が冴えわたっている図なんですが この作品には異国の船が描かれているばかり・・・』 えー、とその時生徒さんの間から声があがり イタリア人の女性が笑いながら 「 私には分かりましたけど。」 と言ったのでした。 「北斎が描きたかったのは、外国の鳥が橋を作る =外国人が日本への開国を求めている、 日本の夜明けじゃないですか」 思わず、女性と壁に投影されている錦絵を 変わるがわる 凝視してしまいました。 日本の夜明け・・・ その時の衝撃は雷に打たれたというか(北斎だけに 笑)、 今まで合わなかった視界の焦点が ハッキリあったような驚きがありました。 私は何を見ていたんでしょう? 激しくそびえ立つ断崖は江戸幕府。 そこに続々と到着する外国の船。 しらじらと明けてい...

小野小町の姥がゑとき

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小野小町 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに ーーーーーーーー イタリア人に、北斎の『百人一首姥がゑとき』を 説明してほしい、と依頼された時、 最初に頭に浮かんだのはこの歌でした。 個人的にこの和歌が好きだったというのもありますが、 日本の歴史に残るような美女で才女、 となるとイタリア人の想像力を大いに くすぐるのではないか、 という軽い下心もありました。 が。 北斎の錦絵を見て、私は軽いショックを受けました。 美女がいない … 豪華な桜吹雪もない … 舞台は奈良時代ではなく、 北斎の生きる江戸時代の庶民の暮らしを 切り取ったように見えます。 どうしよう … (限りなく弱気) 「 花の色は、色あせてきてしまった。       私がこの世で物思いにふけり     春の長雨が降り続いているあいだに 」 この歌は、美女である小野小町が、 時とともに老いていく自分の姿を、 桜の花に例えたもの … と言われています。 美しさは永遠には続かないのだと。 なんと儚いものなのだろう、と。 気を取直して、北斎の錦絵を見ていると、 貧弱ともいえる若い桜の木を 見やっている女性の姿が浮かび上がってきます。 一瞬若い女性と見間違えたのですが、 手には杖をつき、腰が曲がっています。 それでも、その背中には何処か気品があります。 正直、 ハッ としました。 (北斎にハリセンボンで後頭部を打たれた感じ) この作品を描いた北斎は 76 歳前後 … 小野小町は桜が散る姿に老いゆく自分を嘆きましたが、 老いるということは嘆くべき事なのでしょうか? 人生の出会いや別れを経験し、荒波をくぐり抜け、 今は働きものの家族に囲まれて、 日々を大切に生きる女性。 その姿は、すっきりと美しく、若さが通り抜けた後の 悔恨は微塵も感じられません。 背中越しなので、彼女の表情は読めませんが、 若い桜の未熟さを 優しい眼差しで見守っているように思えま...

阿部仲麿の姥がゑとき

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それでは、私が『Passione Giappone 』の講義で行った、 北斎の絵解きを数回に分けて投稿しますね。 ————— 阿倍仲麿 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の月に 出でし月かも 北斎の「百人一首姥がゑとき」 27枚現存する錦絵の中で、一番理解しやすく、 イタリア人にも分かりやすいと思った作品です。 遣唐使として唐に渡り、玄宗皇帝に大変気に入られ、 長く側で仕えた阿部仲麿でしたが、 35年の滞在の末、ついに日本への帰国を許されて、 出発前の宴の席でこの歌を詠んだ 構図になっています。 「 天の原を見上げれば、月が美しく輝いている。 あれは故郷の春日、三笠山にかかる月と 同じものなのだなぁ。」 遠い日本を思い、和装で月を眺める仲麿。 35年、異国で過ごすというのは、 さぞ郷愁が募ったことでしょう。 北斎の描くこの作品には、天上に輝く月は構図の中になく、 海原に映り込んだ月のきらめきがあり、 その光に向かってふらふらと二艘の船がたゆたっています。 私はここに北斎の、 仲麿が日本へ帰国することが叶わなかった 運命の示唆を感じます。 天上の月は、たしかに故郷から見上げた月と同一のもので、 春日の山からもきっと美しい月を 同時に見上げることができたのでしょう。 けれど、構図の中には、波立てば消えてしまう 幻のような月が描かれているのみです。 彼の乗った船は沈没し、命こそ助かったとはいえ、 一度も日本へ帰ることなくその命を終えた仲麿。 北斎の彼への憐れみ、深い慈愛を感じるのは、 同じように外国で故郷を思う私だからでしょうか。

百人一首姥がゑとき

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こんばんは。 昨夜は日本美術史講座『 Passione Giappone 』 第二回の講義をしてきました。 今回は劇場から普通の教室に移ったこと、 浴衣を着ずに行ったこと(笑)、 メインの美術評論家の先生と一緒に授業をすすめたこと、色々あいまって割と リラックスして授業をすすめることができました。 とはいえ、私が受け持った部分は北斎晩年の作品 「百人一首姥がゑとき」 百人一首を姥が子供にわかりやすく説明できるように、 和歌に絵をつけるという、 当時流行りのスタイルだったのですが 北斎の絵解きのなんと難しいこと! 😱 先ずは和歌についての説明をし、 イタリア人でも分かりやすい作品を幾つか選んで 奥深い講義を展開しようと目論んだのですが、 当時 75 ~ 78 歳であった北斎の発想は奔放で型にはまることがなく、 日本人で和歌の意味をそれなりに熟知している私でも 作画との関連性がなかなか分からない … 実際、絵で和歌を説明するのは難解だという 版元の解釈で、 100 の超大作になるはずだったこの作品は 実質 27 枚しか発行されませんでした。 (北斎はこのシリーズにとても意欲的だったようで、 下図は 64 枚残されています) この難解シリーズと美しい和歌を どうやって説明したら良いのか … かなり苦労しましたが、授業中に驚くような発見もあり、 本人としては絵かきとしても実のある授業となりました。 久しぶりに雷に打たれたような(笑)一夜。 私が使った幾つかの作品を これから少しずつアップしていきますね。 写真は 歌人、参議篁 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣船 こちらの解説はなし 😁   海人と海女を掛け合わせてあります。 あえて書くなら、参議篁は当時の嵯峨天皇の怒りをかい 二年間の島流しにあっています。 この歌は連れて行かれる船上で詠んだとのこと… さて、どんな景色が見えますか?

'Passione Giappone' 二日目

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今晩、第2回目の日本美術史 浮世絵講義があります。 今回は北斎が描いた『百人一首うばがゑとき』 和歌の説明をイタリア語でしなくてはいけないのですが、北斎の絵解きが難しいのなんの! 未だに悪戦苦闘中…

画狂老人卍

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『何故、過去に日本人は 度々名前を変えたのか。』 『北斎は30回作家名を変えているが、何故?』 という質問が来ました。 明治に入るまでは、皇族、貴族、 武士など元服するときに幼名を改め、 または昇進したり、位の高い方から名を賜ったり、 仏門に入ったりして名前を変えました。 新しい名前を得るということは、出世魚のように縁起が良いものとされていたのですが… (諱とあざな、という呪術的な概念もありますが、 それは省きます) 北斎は、その人生30回画号を変えています。 絵かきにとって名前を変える、 というのは 一からやり直すという危険な掛けでもあります。 一般的には、北斎が自分の腕試しのために 名前を変えていった、 同じところに留まるのをヨシとしなかった、 という解釈がありますが それとは別に金銭に全く興味を示さずに、 いつも貧乏であった北斎が  ( 絵の収入はお金の勘定もせずに 机の上に放っておき、 お米や何か入り用があった時にそのまま包を渡して 勘定を済ませていたとのこと)、 借金を解消するために自分が使っていた画号を 弟子に売り渡していた、という事実もあります。 北斎について調べていくと、 常識に縛られない破天荒ぶり、 奇人であることで周りがギョッとすることを 面白がるところ、 位の高さなどものとも思っていなかったこと、 なによりも絵を描くことを愛していたこと…を知り、その人と様に魅了されます。 北斎の最後の画号は「画狂老人卍」でした。 こんな変な画号で生涯を終えた90才の老人の 満足な高笑いがあの世から聞こえてきそうです。

Passione Giappone

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イタリアのプラート市で開かれる、 日本美術史のコース「Passione Giappone」 最初の回に特別講師として参加します。 曜日は今週の木曜日から来週にズレて火曜日! (さすがイタリア!笑) 話を貰ったときには、 『そんな大役とってもできない!』 と額にジンワリ冷たい汗をかきました。 私の脳裏にあったのは イタリアの大学で散々経験した口頭試験… 分厚い専門書を何冊も読んで、カマをかけて丸暗記。 担当の教授、助教授、その日に試験を受ける他の学生の前(!)で、 手は緊張のあまりブルブル震え、 必死に言葉を紡いだ…あの悪夢!!! 無事に卒業もでき、院すら出たものの、あんな状態だった私が 反対に教えるなんてとんでもない! でも、何故か意志とは反対に引き受けてしまいました。 ここ数日、江戸時代の浮世絵を中心に勉強していますが、以外にも私の中で伝えたいもの、教えたいことが知識として沢山あることに気が付きました。 言葉が綺麗に繋げられなくても、私には日本に対する愛と情熱:パッションがあります。 日本を好きなイタリア人にはきっと真っ直ぐ届くことでしょう。 ( がんばれ、私!)

作品が出来上がったあと

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ジェノバに向けて、毎日何作品か仕上がってきています。 充分乾かしてから、真っ先にするのは、作品を展示できるように金具を取り付けること。 きちんと画布の中心に打たないと、壁に取り付けた時に歪んでしまうので、以外に気の抜けない作業です。   金具を取り付けた後は、実際に壁に取り付けて、平行に飾れるか、画布に歪みがでないか確認。 太陽光さえよければ、そのまま写真も撮ります。 時間のある時に撮っておかないと、作品が売れてしまった場合、手元に何も残らないので重要な作業の一つ。 それからタイトルを入れて、書類を作り、いつお嫁入りさせても大丈夫なように支度をします。    今回は連日のトスカーナの暑さ(33度超え)で夏風邪、夏バテしてしまい、なかなか作業が捗らず出発間際までギリギリの気配です。 かんばらなくちゃ!

Cuisine For The Cure オークション

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在日イタリア大使館で開かれたチャリティーディナー ' Cuisine For The Cure ' オークションの写真がオーガナイズの方から送られてきました。 とても盛況だったようで、なによりです。 私の作品は東京在住のレベッカさんに落札されたとのこと。 オークション代金は全て日本における乳がん啓蒙活動に使われます。 この場を借りて深くお礼を申し上げます。

#Instagram 暑い季節になりました

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日本語バージョン

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ついに念願のオフィシャルウェブサイト、 日本語版をオープンする事が出来ました。 必要に迫られるように、英語、イタリア語と開けてきて、今回の母国語。 ストレートに情報が目に入ってくるからでしょうか、 なんだか自分のしてきた事なのに、他人事のような… 自分だと考えると恥ずかしいような。 akikokayano.com   こちらにアクセスして頂けると、最初のページに飛びます。 私のホームページの製作、及び管理をして頂いている、 クリエーター Ai Kawakubo さんに感謝。

Video Performance PAF2-Palazzo Fabroni

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3月19日にピストイアの ファブローニ宮殿 にて、 ビデオパフォーマンスの上映会がありました。 この宮殿はコンテンポラリー及びモダンアートコレクションを数多く有していて、 美術館として一般公開もされています。 そのSala Parmiggianiにて行われたPAF2全作品、ビデオパフォーマンス。 この時まで Sara Bargiacchi さんによって制作されたビデオを見ていなかった私には、 とても感慨深いものがありました。 当たり前ですが、パフォーマンスをしていた間は、全体からどう見えているのかなど まったく考えずに動きに没頭していたので、 個人の視点と、まったく第三者からの観客の目線と 同時に追随できたのは、とても新鮮でした。 さて、次回は、前回から引き継いでパフォーマンス後半を紹介します。

PAF2 - Video Performance

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昨年末に催された、パフォーマンス・アート・フェスティバル PAF2のビデオ上演会がピストイアのフォブローニ宮殿にて行われます。 PAF2-Performance Art Festival 上演日時: 3月19日(土) 16時開演 会場: Palazzo Fabroni: Via S. Andrea 18, Pistoia HIC ET NUNC パフォーマンス: Akiko Kayano / Silvia Bini 舞台協力パティシエ: Elisabetta Scorcelletti 音楽: Andrea De Witt 写真: Letizia Mugri ビデオ撮影: Sara Bargiacchi 実は私も出来上がってきたビデオを見ていません。今からドキドキです。

Hic et Nunc

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 約1年以上かけてパフォーマンスの計画を立ててきたのですが、 自由奔放きままなイタリア人アーティストたちとの計画。 随分、最初の計画からは大きく大きくそれていき、 最終的にタイトルが決まったのは公演数週間前(汗) 'Hic et Nunc'とは、ラテン語で 「いまここで、この瞬間を」という意味になります。 ポスターとタイトルからは、 どんなパフォーマンスになるかサッパリわかりません(笑) PAF-Performance Art Festival 最終日のとりを締める私たち。 全ては謎に包まれたまま、当日一回限りの公演になります。

準備とリハーサル

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いよいよ、期日が迫ってきました。 会場になるヴィラ・ズミレアに大きなキャンバスを持ち込んで、舞台設置を。 それから舞台芸術、並びに美術評論家のバンニさんの指導のもと、パフォーマンスの細かい動きを一つ一つ確定していきました。 リハの効かない動きもあり、一部予想と想像力でカバー(笑) さてはて。どうなることやら。

共同制作ーアトリエにて

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 今回のパフォーマンスと作品の展示のために、Montale市から、町の共同スペースを一時的に借りました。  テーマに合わせての作品制作ですが、顔料で抽象画を描いている私に対して、オイルで心象風景を描くSilvia Biniさん、まさに水と油ほども違う作風の間で共通項を作らなければいけなかったので、一緒に制作が出来たことは本当に有難かったです。  実は、私と彼女は2013年に開かれたラトビアでのArt Work Festivalへ、イタリアから一緒に参加した間柄です。  あの時は教会の一部をお借りして、イタリアメンバーの3人で制作していたのですが、その時に「帰ったら一緒にアトリエを借りよう!」と皆で話していたのですが、残念ながら実現せず。  あれから2年後、こうやって再び一緒の空間で制作できる日がくるとは、なんとも感慨深いものがありました。   アトリエでの制作中に、やはりフォトグラファーとして参加してくれたLetizia Mugriさん。この記事の写真は全部彼女が撮ったものです。  素晴らしい写真の数々に、本当に色々触発されるものがありました。  この場を借りて、こっそりお礼を…どうもありがとうございます。